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異年齢だからこそ

森のようちえんに集まる子どもたちは

みんな年齢バラバラ。

兄弟みたいな集まりです。

今日は乳児さん、年少少(2歳児)さん、年少さん、年長さんのメンバー。

当然できることも興味も違います。

くっついたり、離れたり。

でもなんとな~く一緒が楽しい。

砂場に集えばみんなで一緒にケーキを作る場面も。

でも異年齢だからこその衝突も毎回。

大きい子の意向とは別に小さい子が砂のケーキにお水をバシャバシャかけてしまって

も~やんないで!!!という文句や

え~ん!!!と泣いて起こる場面も多々あります。

小さい子ははいっちゃダメ~!とか

もう小さい子はすぐ泣くから遊ばない!と走り去っていく年長さんの姿とか。

いつもいつも一緒が楽しい訳ではない異年齢の交わり。

家では末っ子の娘ちゃん。

ここでは一番上のお姉ちゃん。

年長者として、小さい子のお世話をしたり

自分は我慢してゆずったり

家の中だけでは経験できない

大家族のような関わりを

この森で学んでる。

なんだかんだあっても

みんな集まってしまうのが可愛い。

大好きなんだよね。仲間が。

そしてたくさんのお母さんに可愛がってもらえるのも

みんなで子育てする仲間がいるからこそ。

そういえば、ママたちも異年齢集団。

大人になったら当たり前の異年齢だけど

一般的な幼稚園、保育園は

年齢別の保育で

同じくらいの子どもたちの関わりに限られてしまう。

その後、小、中、高と

クラスの単位は同学年。

おなじくらいの子を集めると

きっと発達も似通っているし

できることもだいたい同じだから

管理がしやすいよね。

それが当たり前だと思ってた。

でも同じ能力の子ばかりが集まると

自然と「比較」が生まれると思うんだ。

子どもの中ではなくてね、まずは大人に。

子どもを見る「大人の目」が

あの子はできる、あの子はまだできない

うちの子はできる、うちの子はまだできない

比較の対象として見てしまって

それが子どもに伝わって

私はダメなの?あの子はダメな子なの?

見方がどんどん歪んでしまいやしないだろうか。

その点、異年齢だと

できることが違う

みんな違うが

当たり前。

だれができてすごいとか

だれができなくてダメだとかではなく

小さい子は大きい子を見て

きっと自分もそうなれる!と

未来の自分に希望を見いだし

大きい子は小さい子を見て

自分より小さい子を守りたい優しくしたいという気持ちが

自然と芽生えている

みんな違うのが当たり前。

でも幼稚園や学校では

みんなと同じにできるが当たり前。

それって苦しいよね。

違うからこそぶつかりあうし

違うからこそ一緒にいて面白い。

異年齢の森のようちえんは

そんなことが自然と身についているように思えるんだ。

きっと昔の大家族はそんなだったのかもしれないね。

ここに集うと大きな家族みたい。

くっついたり離れたり。

でもお互いがお互いを大事に思ってることは

言葉じゃなくても伝わっている。

みんな違う。

だからみんな大事。

好きなことも違う。

嫌いなものも違う。

だから面白い。

いっしょもとっても楽しいんだ。

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