top of page

ぐうたらが許される場所

  • gorosuke
  • 2016年10月5日
  • 読了時間: 2分

昨日はちょっとご機嫌斜めな娘ちゃん。

朝ねぼうしてパパに会えなかったのが原因。

せっかくの森のようちえんの日だったのに

お友達に誘われても

「遊ばない」と

シートに寝っ転がってごろごろ。

ひとりもくもくと何やら持参したメモ帳に書き書き・・・

私はというと、そんな娘はほったらかして

里山フェスティバルのパネル作りに没頭していて

相手してやらないもんだから

ぶぅぶぅ文句言われたり。

だけど

いいなぁ、と思ったのです。

遊ばなくてもいい自由。

遊びって強制するものじゃないのに

時折、幼稚園や保育園などの集団では

「今は○○の時間でしょ」と

その輪に入ることを強制されちゃう。

今は気分じゃない

子どものそれが保障されない。

気分がのらないけど

なんか連れられて

良く分からないうちに輪に加わらなくちゃならない。

それが積み重なって行ったら

今、自分が何がしたくて

どんな気分なのか

マヒして分からなくなっちゃうのじゃないだろうか。

いつのまにやら

言われたことをやることに

なんの疑問も持たず

それをこなすことが当たり前になって

どんどん”自分”をごまかして

人のいいなりに

みんなの輪に入ることを優先して

いった結果が

この生きにくい世の中なのじゃないかって

思ってしまう。

やりたいことをやらせてあげる自由と

やりたくないことをやらなくていい自由

どちらも保障してあげたいと思うのだ。

この森では。

午前中、ぶすっとした顔で

ひとりごろごろしていた娘ちゃんでしたが

お弁当たべたらパワーが充電されたらしく

午後はいつものように

いや、いつも以上に

森を駆け回って

思う存分遊びに没頭しておりました。

気分は変わる。

心行くまで、やらないをやりつくしたら

次は行動するようになるんだ。

それが人の性だから。

動かない、気分がのらないときがあっても大丈夫。

それさえも、その子のその時の「気分」を大切にしたいから。

ぐうたらするのもいいもんだ。

な~んにもしなくてもいい場所、

なんでもやってもいい場所。

それが森のようちえん。

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page